異常な原因

イカれてる1(http://watsonkun.hatenablog.com/entry/2014/04/24/223031)では中学校の時の話からだったが、小学校の時を話したいと思う。

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そもそもなぜ自分がそんなに屈折したのか、深く不満やルサンチマンを感じるようになった原因が小学校の時にあるかもしれないと思うので書きたいと思う。

 

まず小学校の時の話をしたいと思う。私は全校生徒が100人ちょっとのとても小規模な小学校に通っていた。クラスは二つあって私の人数は10人ぐらいだった。なぜ、こんなに人数が少ないのに二クラスあったかというと、障害のある同級生が三人いたからだった。クラスにはOという絶対的なリーダーがいた。そのOに逆らうとみんなに無視されるし、いじめを受けるので絶対に逆らえなかった。いつもOの顔色を伺っていた。具体例を挙げよう。クラスの女子と話しただけであいつを無視しようとか、遊びに誘われて断るともう呼ばないといったようなことだ。皆さんは大したことはないと思うかもしれないが、小学生の時は本当に怖かった。女性と接するのが苦手なのはその時のことが大きいかもしれない。自分自身では小さなことで無視されたことはあったが、それほど長い間無視されたことはなかった。周りで何人かそうなった人を見て、余計に怖くなっていった。自分が授業で発言したあと、グランドでサッカーをしてゴールを決めたあとなど、何かあれば無意識に必ずOを見て顔色を伺うようになっていた。小学校四年になって野球を始めた。正直、そんなにやる気ではなかったがOがやるように勧めてきて断れなかった(クラスの男子で野球をやっていなかったのは二人だけだった。)。この呪縛から一刻も早く開放されたかった。同じような不満を持っている同級生がいた。そいつの家に集まって反Oの集会を二人でやっていた。不満を言い合ったり、こうあったほうがいいよなみたいなことをホットレモンを飲みながら話していた。面と向かっては反抗する勇気がなかったが本当にささやかな抵抗だったし、不満やルサンチマンを開放する唯一の場だった。絶対いつかやり返してやると深く心に決めた。

 

ちょうどそんな時だった。母の務めていた会社が倒産して解雇されたり、はっきりとは聞いていないが父も会社を辞めて、祖父から農業をつぐように何度も言われ、家にいるのが嫌だったり自暴自棄になっていたようでパチンコに通って借金を作ったりなど家の中は散々だった。親父との関係性でトラウマになる出来事があった。親父は家の中ではイライラしていることが多くて野球でここがダメだとか怒鳴ったり叩かれるようなことが度々あった。キャッチボールをしようと言われ、取れないようなおもいっきり速い球を目を真っ赤にして投げてきて父親の気が済むまで泣きながら相手をした。今でもあの赤い目をした父が忘れられない。私はただのストレス発散の道具となっていた。夜に父親が包丁を持って殺しに来るんじゃないかと思って怖くて寝れない日もあった。父親を恨んでいた。あと絶対こんな親にはならないと誓った。

 

 

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